虚しさという結論
著者が、仏教経典の翻訳者であった鳩摩羅什という人物がかつて旅した足跡をそのまま辿った旅行記。
著者は関西人らしく、会話のはしばしにユーモアがちりばめられていて、面白く読める。また、旅の途上で宮本輝が何を考え、何を見たかがストレートに伝わってきて、興味深い。
ただ、1ヶ所、気になる部分があった。著者は、自分が作り出す物語に自分の解釈や説明や理由付けを行ってはならないと書いている。しかし、自分の解釈がない小説など、毒にも薬にもならない。そんな小説に心が動かされるはずはない。小説とは、人生や社会、事件などへの意見、批判、または問題提起となるべきだと私は考える。何らかのメッセージがこめられていない小説など、存在価値がないと思うのである。宮本輝がなぜそんなことをいったのかは分からないが、私の小説観とは意見が異なるようである。
波乱に満ちた旅の最後に、著者はずっと持ち続けていた感情を自覚する。「虚しさ」である。この言葉がすべてを物語っているように思われる。古代の王、ソロモンは言った。「空の空、すべては空」。何を成し遂げようとも、どんなに富があろうとも、結局はすべてが虚しいとこの王は言ったのである。著者が期せずして同じ結論にたどりついたのも、ソロモンの言葉の正しさを表しているのではないだろうか。
辿りついた桃源郷
シルクロードの旅も終着点に近づき、星降るフンザをぬけ、インダスを渡ってペシャワールへと辿りついた。
飛行機でひとっ飛びしてしまえば、ただの山脈に囲まれた街に過ぎないかもしれない。しかし車でひたすら走るシルクロードは、本を読んでいるだけで長い旅だったと思うくらいだ。砂漠をぬけたガンダーラはまさしく桃源郷のように思えるだろう。まして古来のシルクロードにおいてであれば、なおさらである。
夜空を見上げて感動するだけの余裕もようやく出てきたといったところだろうか。フンザの夜空をみつめて、見えたのは過去ばかりではなかっただろう。筆者の言葉に、これまでにない重みを感じた。
桃源郷でも現実の世界はついてくるもので、イスラム圏のためにアルコール探しに奔走する姿もユーモラスに書かれている。それにマリファナのために放浪する日本人の姿も。
巻末に添えられている「旅のアルバム」は、それまでの挿絵として挿入されている写真とは違って旅行の写真っていう雰囲気が伝わってくる。プロのカメラマンの撮る写真というものにも触れられてよかったと思う。
紀行でも、歴史小説でもなく、鳩摩羅什の軌跡を辿りながら人生を考える
4月中旬日本に出張したとき、6冊を揃って買い求め、一気に読んだ。当初の、鳩摩羅什の軌跡を辿るという期待は、現代中国の辺境地区の現実に出会い見事に打ち砕かれる。 が、6700kmの旅のなかでの、人々との出会いや、広大な砂漠に身をおいて、著者が思う自らの半生の回顧、著者の豊富な読書暦からの引用とコメント、鳩摩羅什への思いなど、幅広く人生を考察する機会を読者に与えてくれる書である。 著者の少年時代、作家への道を歩み始めたころの回想も、その苦しさ、せつなさは、彼の他の書で目にしていた記憶もあるが、改めて実感し、読者にとってのそれなりの指針となることと思う。 惜しむらくは、スポンサーのついた旅であったため、紀行のスタイルを崩せなかったのだと思うが、メンバーやガイドとのやりとりで、地元文化の話題になるところは容認できるが、やや冗長の感が否めない。「ドナウ」風のフィクションにしたてた時には面白いとは思うが。
私もこの旅がしたい
この本を知って一気に6巻まで読んだ。結局鳩摩羅十のことは作者が期待するほどはわからなかったが、壮大な旅をしたものだ。それにしても中国という国の広大さよ。現地ガイドと新潟の新聞記者と作者の息子とのかかわりがときにはおかしく、時にはアブナく、喧嘩別れしそうになったこともある。タクラマカンからカシュガル・・クンジェラブ峠・・フンザのあたりは圧巻で息を呑んでページをめくった。わたしは個人的にもその方面に行きたいと思っているので、食い入るように読んだ。この旅の取材で彼は「草原の椅子」を書いた。人によってはこあたりの旅は人生をも変えてしまうことがあるだろう。もう一度ゆっくり読みたいすばらしい本だ。
講談社
ひとたびはポプラに臥す〈5〉 (講談社文庫) ひとたびはポプラに臥す〈4〉 (講談社文庫) ひとたびはポプラに臥す〈3〉 (講談社文庫) ひとたびはポプラに臥す〈2〉 (講談社文庫) ひとたびはポプラに臥す〈1〉 (講談社文庫)
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